それから。

「淋しい方がいいです。あの人がいてくれたってことだから」


昨年観にいった舞台、乙女企画クロジ「きんとと」の中のいち台詞。
そんなことをつくづく思う今日この頃。友達を亡くしてから1年が経ちました。


何度心の整理をしても、いまだに意味がわからないところはあります。もう会えないって何よそれ、みたいな。今でも時々泣きます。突然淋しくなったりして。体というのはそれ自体が結構覚えてるもんで、その子の好きな歌手の曲が流れたりすると、頭で考えるより先に「あっ教えなきゃ」ってテンションを準備するんですね。一拍遅れて頭が「誰に?」とクエスチョンを発し、さらに一拍遅れで「そっか、もういないんだよね…」と改めて認識してしまう。ものすごくやるせない瞬間です。


実際そばにはいなくても、彼女のいない寂しさが一緒にいるっていうことは、彼女が今も一緒にいるっていうのと同じことだろうか?



一緒に好きだった曲、とか。この先聴くたびに、私はやっぱり淋しい思いをするんだろうなぁと思う。それは癒すとかそういう類の問題じゃないんだと思います。それが、彼女がいてくれたってことなら、癒える日がこなくてもきっと、いい。


難しいことはいっぱい、やらなきゃいけないことはたくさん。なかなか前には踏み出し切れていないけれど、自分のことばかりこんなふうに、こねくりまわしてばかりだけど…それでも、今もずっと、大切に思っているよということが、今の私の「喪」なのだと思います。